塩田武士「罪の声」あらすじ・ネタバレ

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曽根俊也の調査

オーダーメードのスーツ店「テーラー曽根」の二代目店主である曽根俊也は、胃潰瘍で入院した母親に「電話台に入っている、アルバムと写真を持ってきてもらいたい」と頼まれる。

そこで、カセットテープと英語で書かれた手帳のメモを発見する。カセットテープを再生すると、その音声は、幼い頃の自分の声のものであると気づく。なおかつ、その音声は、世間を騒がせた「ギンガ・萬堂事件」(ギン萬事件)でホープ食品事件恐喝に使用されたものであると気づくのだった。そこから、父親の友人・堀田とともに、事件について調査を開始するのだった。

俊也は、手帳の内容などから、イギリスで消息を絶っている伯父・達雄が、「ギン萬事件」に関与していると考える。そして、犯人たちが会合を開いていたという、大坂・堺にある小料理屋「し乃」を訪れる。

女将や板長に話を聞き、会合を行う中に、元滋賀県警の暴対刑事である生島秀樹がいたと判明。そして、堀田の調査で、ある日を境に、生島一家が蒸発したと明らかになるのだった。生島には、長女・望、長男・聡一郎がいた。事件当時、彼らの年齢は、「ギン萬事件」に使用された脅迫テープに登場する子供たちと一致するのだった。

俊也は、望や聡一郎のことを調べ始める。望の小学校時代の担任である大島美津子に会いに行き、そこで望が留学したがっていたこと、突如として無断欠席するいうになったと知る。

俊也は、望と交流のあった同級生・天地幸子に会いに行く。そこで、曽根や山下と名乗る人物たちから、「すぐにここを出る準備をしてください」と言われ、生島一家は住んでいた家から出ていったことを明かされる。

さらに、望は「ギン萬事件」の脅迫テープに声を吹き込まされたことを明かしたのだという。母の手伝いで、スナックで働いていた望は次第に荒んでいき、心配した幸子は望と会う約束をした。だが、望は現れず、望の母親・千代子から「望は亡くなった」と知らされたのだという。望は見知らぬ男に追いかけられ、身の危険を感じていることを母親に電話した直後、死亡している。

そして、聡一郎もまた、男にクルマの中に連れ込まれ、暴力を受けて「静かに暮らせ」と脅されたのだという。

掘田は、青木組という暴力団の建設会社があり、そこに聡一郎は出入りしていた。その建設会社は放火されており、その放火した組員と聡一郎は逃げたのだという情報を俊也に伝える。

そんな調査を行う中、俊也は「聡一郎もまた、自分と同様にそっとして欲しいのではないか」と思うようになり、調査をやめるのだった。そこで堀田に「これでおしまいにします」と告げるのだった。

阿久津英士の調査

大日新聞文化部の記者・阿久津英士は、「深淵の住人」とのタイトルで、過去の未解決事件を再調査し、記事にするよう上司である鳥居に命じられる。

「ギン萬事件」は、製菓会社である萬堂製菓、萬堂などの企業を狙った恐喝事件である。「くら魔天狗」を名乗る犯人グループはまず、ギンガ・菊池政義社長を誘拐し、さらには「商品に青酸ソーダを入れた」と脅迫したのだった。関西弁で、警察を揶揄・挑発するかのような脅迫状で話題となり、計6社が脅迫されていたのだった。

株・仕手に詳しい立花幸男に聞き、阿久津は犯人グループが株価暴落時に空売りで巨額の利益を得たのではないか、という情報を得る。

阿久津は、「ギン萬事件」の犯人たちがやりとりしていたと考えられる、無線傍受の記録を手にする。傍受した人物・水野治郎は、会話をする内の1人は自動車窃盗を行っていた金田哲司であると判明する。そして、小料理屋「し乃」の女将と金田が関係を持っていたことを明かすのだった。

阿久津は、「し乃」を訪れるが、女将は全く取り合わなかった。近くで、金田の同級生・秋山宏昌に話を聞くと、集合写真を見せられ、そこで「キツネ目の男」が写っていると明かされるのだった。そこで阿久津は、「キツネ目の男は実在した」と確信する。そして、その男は金田高志こと金貴成であるという。

後日、阿久津は再び「し乃」を訪れて、そこで板長に話を聞く。犯人たちの会合である座敷には7人おり、「脅迫状」に使われているようなフレーズを口走っていたのだという。そして、そこで「手打ち」という言葉を繰り返していたのだという。また、写真に写っていた刈り上げの男は仕手筋の吉高弘行、そしてその金主は上東忠彦であると判明する。

阿久津は、ホープ食品の現金受け渡しに利用された大津サービスエリアについて取材を行う。そこで、刑事が「キツネ目の男が、ベンチの裏に指示書を貼っていた」と話す一方、指示書は観光案内板の裏
に貼られていた。そこで阿久津は、「キツネ目の男は、2人いたのではないか」そして「指示書も2枚あったのではないか」と考えるようになる。

「ギン萬事件」の捜査員の息子・中村に、捜査に関する情報が書かれた手帳をみせてもらう。そこには、「京都 もぬけ」と書かれていた。当時、中村とともに大津サービスエリアで張っていた刑事は、犯人の1人が「メモ」を落とし、アジトの場所を教えたと明かす。アジトは「もぬけの殻」であったが、その一室で、知っている人間の指紋が検出されたのだった。

阿久津は、鳥居や一課担キャップらとともに、「犯人たちは『し乃』で”手打ち”をした後も仲間割れをしており、グループの1人がアジトの住所を書いたメモをあえて落とした」と推理する。

そんな中、金田、吉高、上東たちと面識のある青木龍一というヤクザが犯人グループの1人であると鳥居は指摘する。また、青木と元刑事の生島は接点があることが判明する。そして、阿久津は犯人グループのアジトから検出された指紋は、生島のものであると考える。

阿久津は、し乃の板長に話を再び聞きに行くと、「犯人グループは7人ではなく、9人」と訂正される。また、阿久津はもう一人、曽根俊也という人物が「ギン萬事件」について話を聞きにきた、と明かすのだった。そこで、阿久津は俊也が「叔父が事件に関与している」ことを示すテープと手帳を持っていると知らされる。

手帳には、アムステルダムで起きたフレディ・ハイネケン誘拐事件(ギン萬事件での誘拐と共通点が存在しており、犯人グループが参考にしたと考えられている事件)について書かれていたのだという。

そこで、阿久津は「ギン萬事件」の犯人が声明文の中で、ヨーロッパへの逃亡を示唆している点があることや、ハイネケン誘拐事件について調査を行ったとして浮上した、イギリス在住の”中国人”のことを思いだす。だが、その人物は中国人ではなく、日本人だったのだ。そして彼は、今もイギリスに暮らしているのだという。

阿久津は、俊也のもとを訪れる。俊也は、関わるまいと、事件について「知らない」と言って、追い返そうとする。阿久津は、「あなたの叔父さんに会ってきます」と言い残し、その場を立ち去る。それから阿久津はイギリスへと渡り、俊也の叔父・曽根達雄に会うのだった。

曽根達雄の告白

曽根達雄は、阿久津に取材を申し込まれ、自らの罪について告白する。

1974年12月、ギンガに勤務していた達雄の父・曽根清太郎は、過激派左翼に殺害されてしまう。左翼運動の学生と懇意になり、シンパと思われ襲撃されたのだった。

その後、過激派左翼の組織に怒りを覚え、活動家としての生活を始めるのだった。だが、達雄の目の前で、活動家ではない人間が撲殺されるのを目撃してしまい、次第に組織と距離をとるようになる。

国内から逃れるようにして、達夫は80年、ヨーロッパへと渡る。82年に起きたフォークランド紛争などを目の当たりにし、社会・国家に対する虚無感を抱くようになる。そんな中、収賄で刑事としての仕事を失った生島秀樹がやってきた。以前から付き合いのあった生島は、警備員の傍ら、ヤクザまがいの仕事を行っていた。だが、金策が上手くはいかず、借金にまみれていた。そんな生島は、「金持ちに一発かましたろと思う」と言うのだった。

達雄は、「社会に希望を持てなくなっても、希望を持つ者に空疎な社会を見せることができる」と思い、「ギン萬事件」の計画を立案したのだった。フレディ・ハイネケン誘拐事件を参考にし、企業側との連絡ツールに新聞告知、誘拐された被害者自身の肉声を録音するといった手法を取り入れた。

さらに、「身代金の受け渡しは成功しない」と考え、株価操作で利益を得ようと達雄は考えた。父の死後、冷たい仕打ちをしたギンガへの恨みはなく、単にギンガ株は割安で浮動株が少ないからターゲットにしたのだという。

犯行グループに加わる人物は、生島が選定して声をかけた。生島や達雄の思惑とは別に、青木は誘拐による身代金を手に入れようとしたり、生島たちには微々たる株売買の利益を渡さなかった。結果、生島は反発し、ホープ食品をターゲットとする前に「し乃」で手打ちの会合を開いたのだった。

そこで、ホープ食品の株で得た利益は青木グループ、奪った1億円を生島が手にするということで決着がつく。ところが、納得できなかった生島は、ホープ食品の身代金を奪う計画の前日、青木たちに殺害されてしまう。

そのことを知った達雄は、警察に青木たちのアジトの住所を書いたメモを捜査員に分かるように落としたのだった。犯人グループの一味であると分かるよう、捜査線上に浮かんでいた「キツネ目の男」に扮して、達雄はメモを落としたのだった。

その後、生島の家族が心配になり、達雄は一家の逃亡を手助けしたのだった。そして、弟・光雄にテープと手帳を渡し、イギリスへと渡った。その行動について阿久津は「単なる自己満足。あなたの行動には正義がない」と断罪するのだった。

聡一郎のその後

阿久津と俊也は、聡一郎の足取りを追う。青木たちは、生島の妻・千代子や聡一郎たちを監視下に置き、最低限の暮らしをさせていたのだった。

そんな中、津村克己という青木組の構成員が京陽建設を放火し、金庫のカネを奪って聡一郎とともに逃げたのだった。広島などを転々とした聡一郎は、青木の影に怯え、身を潜めるようにして暮らしていた。

阿久津と俊也は、彼を世話していた中華屋「西華楼」の店主・三谷浩二から聞き、聡一郎に会うことができた。聡一郎は、母を置いて逃げてしまったことを後悔し、「再び、母に会いたい」と涙ながらに言うのだった。

その後、阿久津の書いた記事は世間に大きなインパクトを与えた。俊也、そして聡一郎は、名前や顔を隠して取材に応じるようになる。

そんな中、俊也は母・真由美がわざとテープや手帳を発見するよう、アルバムや写真をとってくるよう頼んだのだと気づく。真由美は元活動家であり、達雄の計画が心の琴線に触れるものがあったのだという。そこで、俊也の声を録音する手伝いを行ったのだった。

記事をきっかけに、「聡一郎の母」と名乗る人物が現れたのだった。阿久津と俊也は、聡一郎にともなって、彼女のいる神戸の特別養護老人ホームへと向かう。そこで聡一郎は、母とついに再会することができたのだった。

「親子の証拠」として、聡一郎は姉・望が読み上げた脅迫文の録音テープを持参していた。そして、母・千代子は、「聡ちゃんが、誕生日プレゼントにくれたもの」として、ギンガのキャラメルのおまけとしてついていたクルマのおもちゃを見せるのだった。

同じ年齢である阿久津、そして俊也は、事件の調査、そして聡一郎と母・千代子の再会で「ギン萬事件」について終止符を打つ。2人は握手をして別れを告げるのだった。

グリコ・森永事件との関連性

・あとがきで著者の塩田武士氏は、「本作品はフィクションですが、モデルにした『グリコ・森永事件』の発生日時、場所、犯人グループの脅迫・挑戦状の内容、その後の事件道について、極力史実通りに再現しました」と記載している。

・さらに、「子どもを巻き込んだ事件なんだ、という強い想いから、本当にこのような人生があったかもしれない、と思える物語を書きたかった」とのことであり、脅迫テープに声を録音された子供たちである曽根俊也、生島聡一郎たちを登場させ、ストーリーの中で重要な役割を演じさせていると考えられる。

・朝日新聞大阪社会部『グリコ・森永事件』、宮崎学・大谷昭宏『グリコ・森永事件 最重要参考人M』など9つの引用文献、DVDを参考にし、さらには元読売新聞記者・加藤譲氏などへの綿密な取材を行い、書き上げられている。

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