原作および史実について
『アイリッシュマン』には原作があり、チャールズ・ブラントのノンフィクション作品『I Heard You Paint Houses』(2004)を元に制作された。
『I Heard You Paint Houses』は、ジミー・ホッファの失踪事件を主眼に書かれている。そもそも、ホッファ失踪事件は様々な憶測を呼び、様々な書籍も出版されている。その背景としては、情報と引き換えに減刑を目論んだマフィアが次々に証言しており、その結果、様々な説が飛び交った。
そんな中、2004年、ホッファのチームスターズ仲間であるフランク・シーランが、1999年に「ラッセル・ブファリーノの命令でホッファの後頭部を撃って殺害した」と告白したことがシーランの弁護士による伝記本で伝えられた。
『アイリッシュマン』は、このシーラン犯人説をもとに映画化されている。なお、シーランは殺害後、遺体処理は別人が行ったとしており、この点も映画では忠実に描いている。
なお、FBIは、得られた情報・証言により、様々な「遺体を埋めた」とされる場所を掘り返しているが、ホッファの遺体は未だに発見されていない。
題名「アイリッシュマン」の意味
原作は『I Heard You Paint Houses』であり、映画は『アイリッシュマン(原題:The Irishman)』である意味は、そもそもフランク・シーランが「ジ・アイリッシュマン」という異名で呼ばれていたためつけられたと考えられる。
フランク・シーランは、マフィアのソルジャーとして、暗殺や破壊工作などに長年に渡って携わったとされる実在の人物である。
回想と終活
映画は、フランク・シーランによる回想で始まり、ペンシルバニア州北東部のマフィアのボスであるラッセル・ブファリーノや、ジミー・ホッファ(アル・パチーノ)との出会いが描かれていく。
マフィアのソルジャーとして暗殺を繰り返し、さらにはホッファの用心棒として付き従う人生の果てに、投獄、そして妻が死去した後、娘たちも離れていった寂しい日々が待っていた。
「家族を守る」という大義名分の下、悪事に手を染めていった、その行動に理解を求めるのだが、娘ドロレスは首を横に振る。フランク・シーランは、死を前にして一人で終活を始めていくのだった。
ラストシーン「わずかに開けられた」ドアの意味
2019年12月13日放送のTBSラジオ系のラジオ番組『アフター6ジャンクション』の中で、宇多丸氏はラストシーンについて、以下のように語っている。
原作では、「俺は今、介護施設の狭い部屋で暮らしている。ドアはいつも開けっ放しだ。自分で立って閉めに行けないからな」とだけある一方、本作をこの「閉じきらないドア」ということそのものを、巨大な映画的キーワード、映画的モチーフとして描いている。
その他、ジミー・ホッファが、初めてフランクをホテルの同じ部屋に泊めた、つまり初めて「お前のことを信頼したよ」という証としての半開きのドアや、少女時代のペギーが、閉じきらないドアの隙間から垣間見てしまう、暴力的仕事人としての父の姿…など、さまざまな場面でモチーフとして登場する。
また、ホッファと娘、同じ写真に写った2人を、ある意味同時に「自分のせいで」失ったフランクが、「ドアを開けておいてくれ」と言う、この切なさ。この構成の妙がある。
そのドアのから彼を訪ねてくる、彼が会いたい人っていうのは、もう二度と来ない。だが、そのドアの隙間から、唯一「観客」は彼の心の虚しさ、孤独を眺めることができる。
「ドアの隙間」というモチーフを劇中でいくつも登場させ、フランク・シーランという人物像を覗き込ませるかのような描き方をしているのでは、という指摘のようだ。
また、さらに宇多丸氏は「家族のためにやったことが、家族を遠ざけ、失うことにも繋がっていく」ということは、まさに『ゴッドファーザー』三部作のテーマと同一であると指摘している。
神父に対する「そんな電話をかけられるかよ、俺に」というつぶやき
ホッファを自ら手にかけた後、ホッファの妻へ電話をかけるシーンで、フランクは非常に動揺していた。口ごもってしまい、上手く話すことができなかったことからも、その電話は彼にとって苦痛だったことが伺える。
神父に事の真相を打ち明けることはできなかったまでも、その一端として口をついて出たのが、その電話のことであり、「そんな電話をかけられるかよ、俺に」というつぶやきになったのではないかと考えられる。
ちなみに、このセリフはロバート・デ・ニーロのアドリブであったという。