簡単なあらすじ
1) 井伊直親(三浦春馬)は、しの(貫地谷しほり)と結ばれた。だが、しのにはなかなか子供ができることなく、必死になってしのは祈願や子作りに効果があるとされる食事や薬を試していた。
2) 次郎法師(柴咲コウ)は、しののために子作りのための妙薬を用意するのだが、しのは「私に子供ができぬといいと思っている人の薬など、受け取れませぬ」と言う。しのは、周囲の人々が「次郎が奥方様であればよかったのに」と思っていると思い込んでいた。そして、次郎がしのの妊娠を望んでいないと思っていたのだった。
3) 4年間、子供ができなかったこともあり、ついに直親には「側女をとったらどうであろうか」という話が持ち上がる。だが、ただでさえ精神的に浮き沈みが激しく、不安定なしのが、側女の存在でどうなってしまうのか、と次郎は案じる。
4) しのは、自害を試みるが、そんな彼女を次郎は制止する。そして、しののことを他人事のようにとらえている直親に「ため息などつくな。あれはお前の妻だろう。お前がなんとかすべきだ!」と叱る。直親は、「側女の件、1年待っていただけないでしょうか。その1年で子供ができなければ、しのも心づもりができましょう」と言う。今川義元から、尾張への出陣の命が下り、直盛は出陣することとなった。桶狭間の戦いが今、始まろうとしていた。
詳細なあらすじ
井伊直親(三浦春馬)は、次郎法師(柴咲コウ)を還俗させて夫婦になりたいと考えていた。だが、次郎は「偽装で自害を図って、隠れ住みながら夫婦となる」という直親の案を、井伊家のことを考えて拒否する。
直親も次郎のことを諦め、しの(貫地谷しほり)と結ばれた。だが、しのにはなかなか子供ができることなく、必死になってしのは祈願や子作りに効果があるとされる食事や薬を試していた。
そんな中、次郎が瀬名からの手紙を読んでつい笑ってしまっていたところ、しのは自分が笑われていると感じ、「私のことを笑っておられるのですか?」と言い出し、次郎はしのの精神状態を危ぶむ。
見かねた次郎は、ジャコウが小作りの妙薬であると聞き、政次(高橋一生)に、「駿府でジャコウを買ってきて欲しい」と言う。そんな次郎に、政次は「自分がその薬を使って、子供を孕めばいい。そうすれば奥方として認めるであろう」と言い、次郎は戸惑う。
今川義元(春風亭昇太)は、家督を息子の氏真(尾上松也)に譲る。そして、尾張の織田攻めに向けて準備を進めていた。井伊は、槍200本を作るようにと命じられる。そんな中、直親は「初陣を飾りたい」と言い出すのだが、直盛(杉本哲太)はまだ直親に子供がいないこともあり、「留守居を頼みたい」と言う。
4年間、子供ができなかったこともあり、ついに直親には「側女をとったらどうであろうか」という話が持ち上がる。だが、ただでさえ精神的に浮き沈みが激しく、不安定なしのが、側女の存在でどうなってしまうのか、と次郎は案じる。
そんな中、次郎は政次からジャコウを渡される。そのジャコウを、次郎はしのに渡しに行くのだが、しのは「受け取れません」と言う。しのは、次郎に「私が子供を孕まねばいいと願っている人の薬などいただけません。どうせ、私に呪いをかけているのでしょう」と言い出す。
次郎はついに堪忍袋の緒が切れ、「父上たちに申し上げる」と言い、しのは制止しようとする。次郎が振りほどいたことで、しのは「乱暴をふるわれました」と直親に言うのだった。そんなしのの様子に直親は呆れ、その後、ため息混じりに次郎へ謝罪する。
直親は、ついに側女をとることを考え始める。だが、そのことを知ったしのは、怒りや苛立ちを覚え、その感情が次郎へと向かった。しのは、「御恨み申し上げます」と手紙を残して、行方をくらます。そして、自害しようとするのだった。
刃を自らの首へと向けるしのを、次郎は止める。そこで、しのは努力し続けても子供ができないことのうらみつらみを述べる。そして、「誰もが私ではなく、奥方様が次郎様ならば、と思っている」と言うのだった。
それを聞いた次郎は、しのに「死にたければ、自害すればいい。そのようなことで、井伊の奥方がつとまるのか!」と叱り付ける。しのは、次郎に向かって刃を向けるのだが、寸でのところで次郎を見守る僧に救われる。
そこに現れた直親は、再びため息をつきながら、しのを見る。そんな様子の直親に、次郎は「ため息などつくな。あれはお前の妻だろう。お前がなんとかすべきだ。お前たちは夫婦なのであろう?ならば、夫婦助けあうべきだ。子作りは1人で行うものではない」と叱かる。直親は、しのに「話し合おう」と優しく言う。
次郎は、しのが思いつめてしまっていることを知り、両親に「私に刃を向けたのです。側女が来たならば、同じ目に遭うやもしれません」と言い、側女をあてがうことを待って欲しい、と言う。
直親は、「側女の件、1年待っていただけないでしょうか。その1年で子供ができなければ、しのも心づもりができましょう」と言う。
今川義元から、尾張への出陣の命が下り、直盛は出陣することとなった。桶狭間の戦いが今、始まろうとしていた。