浦和医大で勤務する研修医・栂野真琴は、臨床研修長・津久場教授に命じられて、法医学教室で研修を行うよう指示される。准教授のキャシー・ペンドルトンは、歓待するが、光崎藤次郎教授は、「楽な科ばかりを回ってきおって」「お前は法医学に向かない」と言われ、追い返されてしまいそうになる。
だが、真琴は研修修了もかかっているため、食い下がって、試用期間付きで法医学教室で研修することが許可される。
埼玉県警から、司法解剖の依頼される。真琴は、光崎教授、キャシーとともに事件現場・さいたま市浦和区皇山町の河川敷に向かう。亡くなっていたのは、建設会社社長である54歳男性・峰岸透だった。
国木田検視官は、「酒を飲んだ末に眠ってしまい、凍死した」と、事故死であると主張し、司法解剖は不要と考える。だが、渡瀬班長および古手川刑事は、解剖をするべきであると考えていた。光崎教授は、国木田に「お前さんの正当性を証明するために」と前置きをした上で、司法解剖を行う。
遺体は、死斑の位置がズレておらず、凍死したまま動かされなかったと考えられた。また、胃粘膜に多発性の出血班、心臓血は流動性だが室温に触れた部分から凝固していたため、凍死と考えられた。だが、胃の内容物および血液検査の結果から、大量のアルコールおよび、睡眠薬が検出された。
また、気管支内には、青い粒子が発見された。それは、サイネリアの花粉であると判明する。
峰岸は、農業を営む同級生・瀬川林蔵に50万円を貸していた。瀬川は、サイネリアを栽培しており、近辺で栽培しているのは瀬川だけであった。
瀬川は、峰岸を学生時代にイジメていた。にも関わらず、峰岸に借金をせざるを得ず、さらには「借金をチャラにしてやる代わりに、犬になれ」と言われ、峰岸に殺意を抱いたのだった。
瀬川は、うつ病を患っていた時期があり、睡眠薬を処方されていた。その睡眠薬を酒に混ぜ、峰岸に飲ませていたのだった。そして、衣服を脱がせた上で河川敷に放置し、凍死させたのだと自供する。