アニメ映画『野生の島のロズ』とSF映画『ガタカ』の共通点

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アニメ映画『野生の島のロズ』は、とある島に漂着したロボット「ロッザム7134(ロズ)」がカワウソによって偶然起動される。ロズは「人間」をサポートするために設計されており、助けを必要としている人を探すが、その島に人間は誰一人存在していなかった。

ロズは島で、動物などにもサポートをしようとするが、動物にとってロズは得体のしれない存在であり、ありがた迷惑でしかなかった。そんな中、アクシデントでロズは雁の巣に倒れ込んでしまい、卵を潰してしまう。

唯一、助かった卵を孵化させ、ロズは仕事を完了させたと思うが、その雁の雛(キラリ)は、ロズのことを母親だと思い、ついて回る。ロズは狐のチャッカリやオポッサムのピンクシッポから話を聞き、「食事を与え、泳げるようにして、冬までに飛び方を教える」ことがやるべき仕事であると思い、懸命にキラリを育て始める。

『野生の島のロズ』のテーマ

脚本・監督を務めたクリス・サンダースは、原作からのアニメ化にあたって、「プログラムを超える」ことをテーマにしているとインタビューで語っている。

ロズはロボット故に、「心」「愛情」そして「母性」などはないはずである。しかし、キラリやチャッカリたちの関わりでそれら人間らしい心や愛情などに似た気持ちを獲得していく。

本来ならばすぐに「回収」を通信機によって要請するようプログラムされているはずが、ロズはキラリの「渡り」を見守るために島に残ることを選択する。プログラムから外れた行動をとる自身にも戸惑いながらも、ロズはそんな自分を受け入れていく。

人が「子育て」によって親となっていく、独身時代の今までの自分とは異なる存在になっていくかのように、ロズはキラリの子育てによってプログラム以外の感情や、プログラムされた「しかるべき行動」とは異なる選択をする存在となっていく。

「プログラムを超える」ものたち

ロズだけでなく、キラリもまた「体が小さく、本来なら真っ先に自然淘汰されるべき存在」という、プログラムのようなものから逸脱する存在となっていく。

まともに飛べもせず、同じ雁の集団から迫害されていたにも関わらず、いつしか彼は頭角を現し、雁の集団の中でリーダーになって島へと帰ってくる。

他に、島が大寒波を襲い、本来ならば捕食する/される動物たちが協力をする。ロズの「今は休戦して」という言葉によって、彼らは無事にロズの作った家で越冬することができたのも、まさに本能などを超えた、まさにプログラム外の行動によってなし得たことだと言えるだろう。

「プログラムを超えた先には、きっと新たな可能性が広がっている」というクリス・サンダースのテーマが、随所に本作には登場しているように思われる。

『ガタカ』との共通点

定められている運命、それに目的や大義をもって抗おうとする存在。それはまさしく、『野生の島のロズ』で描かれた「プログラムを超える」というテーマとの共通点であるように思う。

こうした、「運命に抗う存在」を描いた作品として、SF映画の名作『ガタカ』がある。『ガタカ』の原題「Gattaca」は、DNAの基本塩基guanine、adenine、thymine、cytosineの頭文字からとられたものであり、人工授精と遺伝子操作により遺伝的に「完璧な人間」が大半を占める世界を描いた作品である。

その遺伝的に完璧な人間たちがいる一方、まだ自然妊娠で生まれた人間も共存している。その中の一人が、主人公のイーサン・ホーク演じるヴィンセントである。先天性心疾患を抱え、人工授精・遺伝子操作で生まれた弟に何かと劣等感を感じる存在であったが、ヴィンセントは遠泳で弟に勝つことができたのをきっかけに、「宇宙飛行士」を目指すようになる。

もちろん、「完璧な遺伝子」であることが宇宙飛行士になる条件であることもあるが、ヴィンセントは戸籍の偽装と血の滲むような努力で乗り越えていき、ついに彼は宇宙飛行士となる。

遺伝子という、生まれた時点で変えることができず運命づけられたものに抗い続け、ヴィンセントはついに夢を叶えた。『野生の島のロズ』で描かれた「プログラムを超える」というテーマは、こうした『ガタカ』との共通点があるように思われ、ともに優れた傑作であると思われた。

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